日本のドローン史において、時計の針が大きく動き出したのは2015年4月22日のことでした。東京・首相官邸の屋上でドローンが発見されたこの事件は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。当時は現在のような明確なルールがほとんど存在しない「空白地帯」であり、この事件を契機に政府は2015年12月の改正航空法施行、2016年4月の小型無人機等飛行禁止法施行と、猛スピードで法整備を進めることになったのです。
現在の私たちは、オンラインシステム「DIPS」で機体登録を行い、スマートフォンで飛行計画を通報するのが当たり前だと思っています。しかし、かつてのドローン活用現場がいかに過酷な事務作業に支えられていたか、想像できるでしょうか。「昔は申請にハンコが必要で、書類を本局まで郵送していた」と言われても、今のユーザーには信じられないかもしれません。
この記事では、ルールなき時代から現在の国家資格制度に至るまでの11年間の変遷を振り返ります。
かつては「紙とハンコ」の超アナログ時代だった
ドローンという最先端のテクノロジーを扱うにもかかわらず、2018年4月にオンライン申請システム「DIPS」が登場する前の行政手続きは、驚くほどアナログでした。
Wordで申請書を作って、飛行マニュアルも自分で作って申請をしていました。いわゆる紙申請の時代です。メールで航空局の担当者の方に内容確認をしてもらって、修正などをして最終的に書類を郵送するというやり方ですね。
当時は「押印(ハンコ)」が必須であり、私たち実務家も修正が発生するたびに書類を刷り直し、お客様に再度押印をいただき、それを簡易書留で郵送するという作業を繰り返していました。郵送コストと待ち時間、そして膨大な紙の山。これこそが当時のスタンダードだったのです。
また、飛行実績の作成代行サービスにおいても、当初は「完全人力」の時代がありました。現在の「ドロンボ(Dronebo)」というサービスの原型は、専用フォームから送られてきた座標データをスタッフが一つひとつ手作業で地図に落とし込み、実績表を作成するという驚くべき労力によって運営されていたのです。
3ヶ月ごとの「全飛行実績報告」という苦行
かつてのドローン規制において、運用者の最大の悩みは「飛行実績の報告義務」でした。現在のように「日誌を作成・管理し、求められたら提出する」という自己責任スタイルではなく、包括申請を行っている者は3ヶ月ごとに、全ての飛行実績を漏れなく国へ提出しなければなりませんでした。
報告内容は「いつ、どこで、誰が、どの機体で飛ばしたか」を網羅するもので、初期にはなんと「飛行経路図」の添付まで求められていました。数多くのフライトを行う事業者にとって、全ての飛行ルートを図面に描き起こす作業は、まさに「苦行」以外の何物でもありませんでした。
2021年4月にこの定期提出義務が廃止されるまで、ドローンパイロットは操縦桿を握る時間と同じくらい、ペンやキーボードを握って事務作業に追われていたのです。
一つの事故が変えた「催し物上空」のルール
ドローンの規制が劇的に厳格化した背景には、常に象徴的な「事故」がありました。その最たる例が、2017年11月4日に岐阜県大垣市のイベント会場で発生した墜落事故です。
お菓子を撒く演出を行っていたドローンが観客席に墜落し、複数の負傷者を出したこの事件は、その後の審査基準を根底から変えました。それまでは包括申請の範囲内で「催し物上空」の飛行が可能でしたが、事故後はこれが一切認められなくなったのです。
これにより、イベントでの飛行は「個別申請」へと切り替わり、航空局との1対1の厳しい調整が必要となりました。
- 飛行日時と経路の厳密な特定。
- 高度に応じた広大な「立ち入り禁止区画」の設置。
- 観客を守るための防護ネットの配置。
特にネットの配置については、当時は基準が不明瞭で、審査官との補正のやり取りが全く進まないという「生みの苦しみ」を多くの業者が経験しました。「安全」と「利便性」のトレードオフが、具体的な事故をきっかけに一気に安全側へと振り切れた事例です。
200gから100g、そして「1000m」の規制圏へ
技術の進化は、法の定義さえも塗り替えてきました。2022年6月には、航空法の規制対象となる重量が「200g以上」から「100g以上」へと引き下げられ、多くのトイドローンが突然「無人航空機」としての法的義務を背負うことになりました。
さらに、実務家が最も警戒しているのが、2026年7月1日から施行される「小型無人機等飛行禁止法」の改正です。これまで重要施設の周囲300mだった規制圏(イエローゾーン)が、一気に1000m(1km)へと拡大されます。
この改正の恐ろしさは、運用の厳格化にあります。この改正で今飛ばした時点でアウト…という内容になってしまいました。
これまでは禁止区域での飛行であっても、警察官からの退去命令に従えば即座に処罰されることは稀でした。しかし改正後は、命令を介さず「飛ばした時点で即罰則(成立)」という極めて厳しい運用へとシフトします。ドローンの性能向上と普及に伴い、法的リスクは「注意」のフェーズを終え、明確な「即処罰」のフェーズへと突入したのです。
私たちはどこへ向かうのか?
日本のドローン規制の11年は、文字通り「技術と法律の追いかけっこ」の歴史でした。アナログな郵送申請から始まり、凄惨な事故を経て厳格化が進み、そして現在はレベル4(有人地帯での補助者なし目視外飛行)の実現に向けた国家資格制度(2022年12月開始)が整備されるに至っています。
制度が整い、国家資格や機体認証を活用すれば一部の申請を省略できるなど、利便性が向上した側面もあります。しかしその一方で、警察による即時摘発の可能性など、利用者の「知らなかった」では済まされない法的責任の重さは、かつての比ではありません。
11年前、官邸の屋上に舞い降りた一台のドローンが変えた空の景色。 あなたがドローンを始めたのは、どの時代でしたか? そして、これからの自由な空を、私たちはどう守っていきますか?